俳優として、もはやあらためてご紹介するまでもないほどの輝かしいキャリアを持つ京本政樹氏。
しかし当ホームページをご覧の皆様には、氏のシンガーソングライターとしての活動をご存じの方は、まだまだ少ないのではないだろうか?
実は京本氏は俳優であると同時に、あの「必殺仕事人」の「♪ぱらぱ〜」というおなじみのテーマを作曲したという、希代のメロディメーカーでもあったのである!
そんな京本氏がデビュー25周年にあたる今年、オリジナル・ニューアルバム「 苦悩 〜Peine〜 」をリリースした。なんとこのニューアルバムの全曲が、京本氏による作詞・作曲とのこと。さらに、デビュー以来約20年振りとなる本格的ライブ活動にあわせて、この度ESPとのコラボレーションによりNEW GUITARも完成させるなど、俳優業と並行して精力的な音楽活動を見せている京本氏にお話を伺った。

なお、このインタビューは2004年8月20日、同氏16年振りの本格的ライブとなるZepp東京ライブのドレッシングルームにて、昼の部と夜の部の合間という、超過密スケジュールを縫って行われた。
「シンガーソングライター・京本政樹」誕生秘話から、ESPとのコラボレーションによる最新ギター開発まで、貴重な内容盛りだくさんの超スペシャルインタビューを2回に分けてお贈りします!




ESP:まずは京本さんが音楽、そしてギターを始めたきっかけからお聞かせいただけますでしょうか?



京本:影響を受けたのは井上陽水さんですね。「氷の世界」というアルバムを発表されたころです。
陽水さんを知ったのは、中学3年生のときに、後にバンド仲間となる友人が「聞いてみて」って言って聞かせてくれたのがきっかけです。
陽水さんのメロディーラインって、いわゆる歌謡曲のテイストが入ってるんですよね。あのアルバムの中の「帰れない二人」とか、すごい好きだったんですよ。

ギター自体は、中学1年生のときに親父に買ってもらってたんですよね。その頃ってね、テレビジョッキーが流行ってて、白いギターが欲しくて。でも、フォークギターとかガットギターの意味ってわからないしょまだその頃。だから「ギターを買ってくれ」と言ったらその意味は、ギターと言ったら「白いギター」だと思ってるわけですよこっちは。
そしたらね、親父はお袋と相談してですね、うちの姉がクラシックのフルート奏者ということもあって、ガットギター(クラシックギター)を買って来たんですよね(笑)



ESP注:ガットギター(クラシックギター)は、ナイロン弦を使用した、いわゆるクラシックを演奏するためのギター。当時全盛だったフォークを演奏するには、スティール弦を使用したフォークギター(アコースティックギター)を使用するのが一般的だった。



京本:そのギターはいまだに大事にしてます。でも買ってもらったときは親父やお袋には申し訳なかったと思ってるんですけど、押入の中に入れちゃったんです(苦笑)
その瞬間を今でも覚えてますけどね。買ってもらってから一年以上まったく弾きませんでした。


それである時、学校の行事でキャンプファイヤーがあったんですよ。
で、先生が「この中で、ギターを持ってる人」って言うんで、ギター持ってるから素直に手を挙げたら、クラスで3人くらいだったんですよ。
そしたら「キャンプファイヤーに持ってきてください」って言われて、その当時は僕、まだギター弾けないじゃないですか!
でも手を挙げちゃったもんだから一応持って行ったんです。

で、他の二人はフォークギターを持ってきてるんだけど、僕、ガットギターじゃないですか(笑)
それで恥ずかしくて、ピックガードを自分で買ってきて付けて、なんとかカッコつけて(笑)

もう今はピックガードは取ってますけど、未だにその跡があるんですよ実は。

でね、ボクは弾けないって言えないんですよね、カッコ悪くて(苦笑)
で、なんとなく横で弾いてるのを見て、コードを押さえながらジャカジャカやってるわけじゃないですか。
それで、「そーか、そこ押さえときゃいいんだ」ってのがA(のコード)だったりとか。

その意味が、自分で理解できたんですよ。たまたま。
で、アルペジオとかも、器用にも出来たんですよ。たまたま。
だから、誰も(ボクがギターを)弾けないとは思わなかったと思いますよ(笑)



なんと!見よう見まねからはじまったギター人生!「たまたま」などと謙遜してらっしゃるが、お姉さまがクラシックのフルート奏者ということもあり、実はかなりの音楽的素養がもともとあったものと思われる。そして「ギターを弾く」という喜びを知ってしまった京本少年の運命は、さらに加速していく。


京本:無事にキャンプファイヤーも終わって、その頃、平凡とか明星とかの雑誌に歌本(コード譜)があったじゃないですか。それで(コードを)Am、Emと、20個、30個と覚えていって。

それで、さっきの陽水さんのアルバムの話につながるんですよ話が。
中学の友達が「これ聞いて見ろ」って、で「あ〜いいな〜これ。井上陽水好きだなあ」と思って、Am、Em、C、Gってやってたら、もう(オリジナル)曲が出来ちゃったんですよ!

で、学校で「こんな曲作ったんだけど」って発表したんです。

その当時ってのは、みんなコピーをやってるんですよね。
かぐや姫とかチューリップとか、クラプトンとか洋楽のコピーしてたりとか。それが普通だったんです。
でも、ボクの周りに集まった友達は違ったんですよね。

「それ良い曲だからやろうよ!」って。


それで、バンドを組むことになって。バンド名を決めようということになったんです。
当時の他のバンドには横文字のバンド名が多くて、それで僕らも例に違わず、辞書で「パッ」と開いたところにしよう!って。

「パッ」と開いたら「Twinkle = きらめく」って出てきたんです。
「Twinkleか〜。じゃ、「京本政樹とTwinkle」ってのにしよう!」って(笑)
京本政樹「と」ってのが面白いでしょ(笑)


それほど、周りの友人達が僕に付いてきてくれたんですよ。
それでその友人達と後々「POPCON」とかに応募することになるんです。



ESP注:POPCONとは「ポピュラーソングコンテスト」のことで、日本のポピュラー音楽界にも多くの優れたシンガー・ソングライターをおくりだしたYAMAHA主催のアマチュアコンテスト。



その楽曲が、周りに回って、レコード会社の耳に入って。

当時からボクは目立つ方だったんでしょうね。
映画村歩いててスカウトされたりとか、ジャニーズ事務所に誘われたりとか、いろいろ誘いはあったんですよ。

でも、ボクは見向きもしない。

「僕はシンガーソングライターをやりたい。歌を作りたい!」っていう想いの方が強くて。


だから、レコード会社から声がかかったのが一番嬉しかった。
テープだけを聴いて、声をかけてくれたから。


「いい曲書くよね」って電話がかかってきて。
会いに行ったら「この世界で勉強しないか」っていうことになり、それで「お茶くみ」のバイトが始まるんです。
三浦友和さんや山口百恵さんのお茶くみをやってたら、なんと役者さんのマネージャーにスカウトされなおすわけですよ。


そのころお茶くみを半年くらいやってたんで、なんとなく早くデビューしたいじゃないですか。
で、「歌やりたいんですよね」って言ったら、「歌なんてね、俳優でデビューしてからやればいいんだよ」って。
要するに「輝いてからやればいいんだよ」って軽く言われて。

あ、そうですね。ていうことになったんです。


で、そこから、ボクの人生は変わっていくんですよ・・・

・・・時代劇に入っていくんですよ(笑)





<つづく>




取材と文・ESP





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