前回の京本政樹氏のルーツに迫るインタビューを終え、ESP Websiteをご覧の皆様よりこちらの予想をうわまわる大反響をいただき、あらためて京本政樹氏の影響力、人を惹き付ける力というものを肌で感じている次第である。そんな中、最新シングル「薄桜記(さくらうた)ニューバージョン」が、2004年9月某日、都内某所でついにマスタリングに入ったという情報をキャッチ!
そこで我々取材班はあつかましいことは百も承知で都内某所のスタジオへ乗り込んだのである!
そして幸運にもマスタリングの作業現場を見学させていただくことができた。

そこでは、「薄桜記(さくらうた)ニューバージョン」とカップリングの「身勝手なkiss〜最初から泣いていた〜」が、マスタリングによってさらに磨きをかけられ、作品として今にも高らかに産声を上げようとしていた。テレビでは俳優・タレントという側面でしかお目にかかれない京本氏だが、この現場においては、マスタリングというレコーディング作業の最終段階において、さらに音質にこだわることはもちろん、曲間をコンマ何秒に設定するかまで徹底的にこだわる、まさしくアーティスト=京本政樹がそこにいた。
ゾクゾクするようなその仕上がりにすっかり興奮してしまった我々は、どこまでもあつかましいとは思いつつも、京本氏にこの出来上がったばかりのシングルについてどうしてもお話をお伺いしたい!という想いを禁じ得なかった。
出来たてホヤホヤの今だからこそ、インタビューとしては絶好の機会だと思ったのである。
マスタリングを終えてついに完成したところで、思い切ってその想いを告げてみると、京本氏はなんと笑顔でオーケーしてくれたのである!




ESP:大変お忙しい中、またもお時間を作っていただきありがとうございます!
早速ですが、たった今完成したばかりの「薄桜記(さくらうた)ニューバージョン」について聞かせていただけますでしょうか。



京本:ではまず、「薄桜記(さくらうた)」が誕生したきっかけからお話しましょう。
このことは、インストアイベントなんかで僕のファンの方にもお話したことなんですが、実は「苦悩〜Paine」というアルバムを作った時点で、全部で12曲ってことが決定してまして、僕の中ではすでに曲順まで決めてしまってたんですよ。そのときは「薄桜記(さくらうた)」はまだ誕生してなかったんです。

ちょうど去年の12月の始めだったと思うんですが、たまたま福山(雅治)君と武道館で会う機会があったんですよ。
福山君といえば、あの「桜坂」で有名じゃないですか。
で、たまたまTBSラジオのスタッフの方がプロモーターとしてそのとき一緒にいたんですよ。
そのスタッフっていうのが、実はもともと僕のファンだった方なんです。学生時代に僕のアルバムとか聞いて、ライブにも来てくださってらしたような方で。
それで、のちのち「苦悩〜Paine〜」アルバムのスタッフになってくれたわけなんですが、そのスタッフが言った一言が、すごく印象的だったんです。

「福山さんっていうのは、もともと京本さんですよね〜」って言ってくれたんです。

前のインタビューでも触れましたが、これまでずっとシンガーソングライターというのを封印していたから、僕としては全然そんなこと考えてなかったんですよ。でも趣味程度に自分が出ている作品の主題歌をやったりっていう活動はしてたんですけど、それはあくまでも役者の中のプロデュース業の思いつきみたいなところで。だからわざわざ名前を変えてやったりとかしてたんですよね。(ESP注:この時期、京本氏は「冴木涼介」という名前で音楽活動を行っていた)

そのときに、ふっとそういう言葉を聞きまして。「そうか。よく考えるとそうだよな〜」って思いまして。
俳優やって、シンガーソングライターとして名前をだしてっていうやり方は、僕が16年以上前にやってたことなんですよね。当時は「シンガーソングアクター」って呼ばれ方をしてたんですよ。「ライター」はどこに行ったんだ?っていう話もあるんですが(笑)
ま、ライターとアクターをひっかけて、そう呼ばれてたんですよね(微笑)

今から16年以上前のことなんですから、当然、例えば今の16才以下の方たちはまだ生まれてないわけで。
そういうことを、今の世の中知らなくなってるでしょ。

で、そのときに福山君といろいろお話したことが、すごく頭にあって。

そのあと自宅に戻ってなんとなくポロポロとギターを弾いてたんですよ。
「苦悩〜Paine」をレコーディングしていた時期とクリスマスの時期がかぶっていたので、なんとなく遊びでクリスマスソングを作ろうと思ってたんです。もうアルバムに入れる12曲は決定していたから、それはほんとに遊びのアイディアだったんです。

そのときに、忘れもしない、ほんとにクリスマスの日だったんですけど、ふっとね、福山君と話したことを思い出したんですよ。
彼は「桜坂」がヒットしてて、シンガーソングライターとして認められているわけでしょ?
で、ちょうどそのころ森山直太朗くんの「さくら」がヒットしてて。

そっか。。。僕も「世間ではあまり知られてない隠れた名曲」なんていわれているような持ち曲はあるんだけれども、いまいち僕が曲を作っているってことは知られてないんだよなあ。
でも今度アルバムを出すわけだからなあ、、、なんて思っていたときに、急にね、

「あ、僕も桜の歌を作っとこう!」って思ったんですよ。

福山君じゃないけど、「京本政樹の桜ソング」っていうのが欲しいなぁってふっと思ったんです。
それで、予定変更して、急に詩と曲を変えていきまして、それで出来上がったのが「薄桜記(さくらうた)」なんです。
それで、出来上がった瞬間に、これ変な話なんですけど、自分でもちょっと興奮しましてね(笑)
「これ結構いいんじゃない?」って思ったんですよ(微笑)

自分の中で、今までのなかではちょっとなかった曲だったんです。

それで、大谷さんにすぐ電話しまして。
「ちょっとお願いがあるんです」と。
「ちょっとMDを送るから、聞いてくれませんか?」と。

アルバムの音楽プロデューサーである大谷さんに、連絡を入れたんです。

大谷さんは「どういうイメージの曲なの?」って言うんで、
「生ギターと弦なんですよ」って話をしたんです。僕の中ではもう決めちゃってたんですね。



ESP注:「生ギター」とはアコースティックギターのこと。「弦」とはストリングスのことを指す。



それで、お願いだからこの曲をアルバムに入れたいんだ、と。伝えたわけです。

とにかくMDを送りまして。

そしたら大谷さんがMDを聞いてすぐ電話がかかってきまして、
「たしかに良い曲だ!」と、
でも、「これを入れるんだったら、何か曲を外さなきゃいけないだろう」っていうわけですよ。
「それと、入れるにしても、どこに入れるか曲順が困るな〜」っていうわけですよ。

っていうのは、すでにアルバムは12曲でもう曲順も決まっているわけで、全体的なバランスもすべて決定していたわけです。

で、僕は最初、オマケみたいな感じで「ミニシングル」みたいに一曲だけ入ってるみたいなイメージを持ってたんです。要するに独立させたい、みたいな趣向だったんですよ。

それで、TBSラジオメディア事業部R&Cレーベル側にもアプローチしてみたんです。
僕の中にも何か予感があったんでしょうね。これはいいんだ!っていう。

さらにそれを救ってくださったのが大谷さんで、
その翌々日くらいに電話がかかってきまして。

「京本!変なこと聞いていいか?」
「どうしたんですか?」
「さくらうたなんだけどさ。。。あれ、、、パクってないよね?」
っていうから
「え???なんでですか???パクリじゃないですよもちろん。」
「なんかマネしたとか、そういうのないよね?」
っていうから、

「いや、ないですよ」と。

そしたら大谷さんが、
「いやあれね〜。曲が(頭の中で)ぐるぐるして離れないんだよ!」
って言うわけですよ(笑)

「なぜに〜な〜ぜに♪って離れないんだよ!」って。

で、僕が大谷さんに言ったのは、「大谷さん。今アルバム作ってる真っ最中で申し訳ないんですけどね、、、実は、僕もこの曲ばっかり口ずさんでるんですよ」って(笑)

作った僕も、どうしても頭の中を離れなかったんです(微笑)


それで、今度は大谷さんから「どうしてもこれを入れようよ」っていう話になりまして。

で、入れるためにはどうする?って話になったんですよ。



<つづく>



今明らかになる「薄桜記(さくらうた)」の誕生秘話!
京本氏の中で、ふとしたことがきっかけとなり、それがどんどんイメージが膨らんでいき、まずは曲の原形が完成。そしてその曲がどんどん一人歩きをし始め、まずは身近なスタッフである音楽プロデューサーの大谷氏を巻き込んでいく。すでにバランスが完成してしまっているアルバムにどうやってこの曲を入れるのか?二人は苦悩の末、ある結論に達する。はたしてその結論とは?
そして、いつのまにか一人歩きを始めてしまった「薄桜記(さくらうた)」は、大谷氏を巻き込むだけにはとどまらなかったのである。。。
次回、心して待て!




京本氏所有の米・Tacoma社製 GUITARを、新たにスペシャルカラーでカスタマイズ。
「薄桜記(さくらうた)」アルバムバージョンをイメージした、京本氏独特のデザインになっている。
「苦悩〜Paine〜」アルバムのインストアイベントや、2004年8月20日、Zepp東京ライブでも使用された。

取材と文・ESP






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