9月18日。
私は世田谷通りを恵比寿に向かって車を走らせていた。
環8を使ったほうが早かったかな?いや、自分の選択に間違いはないはずだ。
そんな自問自答をしながら、夕方の東京の混雑した道に、気持ちばかり先走る。
スタートに間に合うかな?
そう。今日は大事なあのギターのデビューの日なのだ・・・・・。



Mana様からそのお話しを頂いたのは、新緑も芽生え始める、ある春の日の事だった。
都内某所のリハーサルスタジオ。
Mana様は、本番を1週間後に控える舞台稽古の最中におられた。

ギターのメンテナンスに出向いた私にMana様は、手にとった黒いjeune fille Xの十字架を指差して、静かにこう囁かれた。

「この十字架を光らせる事は出来ないものだろうか」

この一言が、ここから約半年間に渡るドラマのイントロダクションとでも言おうか、久々のニューギターの製作の幕は落とされたのだった。
後日、その光るギターの詳細を決めるべく、打合せのお時間を頂いた。

お招きいただいたその時、Mana様はすでにこのニューギターの構想が出来上がっており、私に数枚の資料を手渡されたのだった。
そこにはさらなる新しいものへのお導きが記されていた。それは青銅アンティーク物の1枚の写真であった。

「ギターの色はこの色にしたい」

なんという発想だろう。

かつてエレキギターにこのような塗装を施した事はなく、過去のエレキギターの歴史においても青銅をモチーフにした物は見たことが無い。
光る十字架、青銅色のフィニッシュと、果されたお役目をあれこれ思案しながら、焦点の合わない視線で帰路に立ち、そのまま足はESPの開発室へと向かっていた。

問題は山ほどあった。
一番の問題は十字架を光らせるために、光源や電気回路、電源を仕込む位置に、ブリッジパーツの一部が被っており、取付けが不可能なことだった。
思案した結果、今のFROYD ROSE製のブリッジのままでは無理だと判断し、Kahler社のブリッジをMana様に提案してみる。
するとMana様は「KahlerブリッジってSLAYERのKerry Kingも使っているよね」という良い反応。そう、SLAYERといえばMana様のお気に入りのバンドである。
試作も試した上で、このブリッジでGOが出た。

また、Mana様は青色ダイオードとの出会いのことを話され、ぜひ青色ダイオードを使用するようにとの注文が来た。やはりMana様といえば青色でしょう。
あと私には、どうしてもやりたいアイデアがあった。十字架をMacコンピューターのスリープのようにゆっくり点滅させたり、ストロボのように早く点滅させたりしたかった。
そこで開発室に頼み込み、エフェクターのトレモロ回路を使用して、点滅の早さを可変出来るようにしてもらった。
青銅色の塗装も新しい塗装方法を開発することにより、Mana様にご満足頂くような仕上がりになった。
詳しい事は、ファンクラブ会報モナムール2006 Oct.#43に、Mana様自ら詳しく語って下さっているので、読んだ方にはお分かりであろう。



ライブのスタートには滑り込みで間に合った。
Moi-meme-Moitieのハイネックフレアロングジャケットに身を包んだ私は、リキッドルームの柱にもたれてライブを鑑賞するかように振舞ってはいたものの、あのギターの光る瞬間を今か今かとじっと見守っていた。



そして、遂にその時が来た。



Mana様のギターは、最初照明の効果のようにも見えたが、それはまるで魂が宿った生き物のように、十字架がゆっくりと青く点滅しているではないか!
ふと気付くと、周りの人たちも様子も変わってきた。何か耳打ちをしている人、ギターを指差している人、「あれ、ギターがひかってるんじゃない?」というような話し声が耳に飛び込んでくる。

私は『そうさ!ギターが光っているのさ。腐腐腐腐腐・・・・・』と、心の中で叫んでいた。

このままライブが終わると思いきや、なんとMCでギターの事を語ってくださっているではないか。
まるで自分の子供を大衆の前でほめられているかのように、私の顔面は赤く染まる。
しかも、最後には私への感謝のお言葉をいただき、私の心臓の鼓動はMAXに達した。
半年の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、沸き起こる感動が目頭を熱くした。

頬を伝わる涙は、足元の十字架シューズXLのつま先に1滴1滴としたたり落ち、そして足元の十字架がキラリと光ったのだった。
dix Love