京本政樹オフィシャルサイト la-cetzna.comのSPEAKコーナーにて、突如衝撃発表された衝撃ニュース!
「苦悩〜Peine〜」から約1年半、通算14枚目となるNEW ALBUMを発売!
名曲「薄桜記」のシングルカット、そしてこの夏の話題をかっさらった「I LOVE YOU」と、コンスタントに音楽活動を続ける京本政樹氏に、気になるアルバムの全貌について存分に語っていただきました。





京本政樹:前回のインタビューで、薄桜記三年計画、十年計画なんてことをお話しましたよね?
とにかく、これからもずっと音楽を続けていきたいんだよ、と。
ファンの方ともお約束をしたんですが、俳優とシンガーソングライターっていう二足のわらじ、いやもしかしたらいろいろあわせると五足、六足くらいのわらじになっちゃうかと思うんですけど笑、とにかく僕としては「シンガーソングライターっていう自分を、世に認めてもらうんだ!」っていう気持ちで、これからもずっと音楽を続けていきたいんです。
でも僕はね、それについてあんまり構えた感じじゃなくて、すごく自分でもそのことを楽しみたいなって思ってるんですよ微笑。

例えばね、俳優=京本政樹っていう人が、今、タッキーと「里見八犬伝」撮ってるわけじゃないですか。僕が昔やっていた役を、今、タッキーがやっているんですよ。で、こないだタッキーに歳を聞いてみたら、なんと当時自分がその役をやったのと同じ歳だったんですよ。23歳ですね。
それで、ふっと思ったんですけど、あの頃の自分ていうのは、まだ世の中に京本政樹っていう名前が全然出てなくて、俳優として、本当にがむしゃらに夢を追いかけていたなあと。
この世界に入った人はみんなそうだと思いますが、役者として名を立てたい!有名になりたい!っていう最初は漠然とした夢を追いかけるところから入ると思うんです。そしてやっぱり時代劇だったら時代劇の難しさ、お芝居の底の深さというものにぶつかっていくものだと思うんですね。
奇しくも僕はその「里見八犬伝」を撮ってるときに、実はシンガーソングライターとして1st Albumを製作してたんです。
デビューのきっかけはご存じのように音楽がきっかけでこの世界に入ったんだけども、デビューして3〜4年の間は、俳優として役をつかむので一生懸命だったんです。そしてやっと「里見八犬伝」の大役をつかんだと同時に、レコード会社からもお声がかかり、いきなりシンガーソングライターとしてアルバムを作りつつ、「里見八犬伝」の撮影をしていたのを、タッキーとお話をしたときにふっと思い出したんですよね。


僕の場合はその次の年に、「必殺仕事人」でブレイクすることになりまして。
そして時代劇の世界に本格的に入っていくと同時に、音楽の方向性もすごく変わってくることになるわけです。


自分は当時でいうところのいわゆるNEW MUSICを書きたいんだけども、「必殺仕事人」の時代劇俳優という顔を持ってしまったがために、「必殺」に合う曲を書かなくてはいけないという立場になってしまったわけです。


これって、図式がよく似てるでしょ???

今だと「牙狼」に合う音楽を書かなくてはいけないっていう自分がいまここにいるわけですよ笑。

だからね、

いま、まさに時代が繰り返していて、全く同じところに僕がいるんですよね微笑。


同じところにいるんだけども、ひとつだけ違うところっていうのは、俳優:京本政樹の名前っていうのだけは、おかげさまでこの二十数年の間に皆様に認めていただけるようになったんです。


例えば、街を歩いていたとしても「あ!京本政樹だ!」とかって言っていただけるようになったわけじゃないですか。
そんなときに、僕は本当に「ずいぶん長くやってきたなあ」って思うんですよね。
俳優として一本立ちしたいということで、音楽を一旦捨てて、ずっとこの道を進んできました。

音楽は趣味ということにして、俳優=京本政樹という人を育てることにひたすら一生懸命だったんです。

もちろん俳優としてこれから50代を目指して、時代劇役者として、そして現代劇役者としての夢はもちろんありつつ、今の僕は、やっぱりミュージシャン=京本政樹っていう人を育ててみたいなっていうことにほんとに一生懸命なんです。

僕は有言実行タイプなんで、まずは公言しちゃって自分を追い込んじゃうタイプなんですけど、去年、ファンの皆様に約束したことは、三年、五年、十年、音楽をずっとやっていきたいんだと。もちろん役者も兼業しながら、これからずっと音楽をやっていきたいんだよと。



ファンの方々には、本当に温かく応援していただいて、先日の後楽園ラクーアでのインストアイベントでも予想以上の大勢のファンの皆様に来ていただきまして、本当に感激してるんです。
本当は、東京だけでなく、大阪、名古屋、北海道、九州と全国各地でイベントをさせていただきたいのはやまやまなんですが、そこのところはどうしても自分の体がひとつなんで、どうしても限界というものがありまして、皆様にはなにとぞご理解いただきたいところなんですけどね微笑。



去年は、役者の仕事をかなり自粛して、かなり音楽に夢中になることができた一年だったんですが、今年はファンの皆様に宣言したとおりに、役者の仕事も自粛をせずに、さらに音楽も力を入れてやっているということで、去年のざっと5倍くらいの忙しさという感じなんです微笑。
寝てない、食ってない、とにかくずーっといろいろ作ってる、みたいな笑。

しかも時代劇やってる現代劇やってる、さらにはこれからNHKに歌も歌いにいかなくちゃいけない、牙狼の音楽まかされちゃってプロデューサー的な立場にもなっちゃたりとか、もうこんなに寝てなくてもいいのかなぐらいのがんじがらめ状態で笑。
だって、このレコーディングだって年末の時代劇撮影と同時進行でやってるんですけど、朝ここを出て現場に向かう時間が9時半とかだったりしますからね笑。
ホームページの更新をずっと待っていただいているファンの皆様には本当に申し訳ございませんが、パソコン開く時間もなければなにもないっていう笑。

私的な時間が何もないっていう状況でやらさせていただいてるんですが、そんな中で、僕は本当にミュージシャン=京本政樹っていう人がこれから、五年、十年、どのようになっていくかを、とても楽しみに今活動してるんです。



最近よくね、考えることがあるんですが、うちのオヤジが45歳で他界して、僕はずっと45歳までの人生を考えてきたって話をしたことがあったでしょ?
で、僕は今46歳。もうオヤジの年をオーバーしちゃってるんです。
世の中でいえば、あと10年で、そろそろ定年退職ですよ。55歳とかでね。
おそらく、世の中のボクと同年代のサラリーマンの皆さんは、すごくシビアに「あと10年だ」って思われるかもしれないんですけど、僕は幸せなことに本当に大好きなことをやっていられるんです。大好きな音楽をやってギターを弾いて、大好きな時代劇もそれなりのいいポジションでやらせていただいて、現代劇にもお呼びがかかって、バラエティやトーク番組も含めて、京本政樹を認めてくださる誰かがいてくださっているんです。



そういうことを支えにしながら、ミュージシャン=京本政樹っていう人を育てて行きたいなと思ってるんです。もしね、一発でも「薄桜記」みたいな曲がポーンと認められることがあるのかなと。そういう自分がいるのかなっていう、もしかしたらいないかもしれない。でも、いるかもしれないと思って今やっているっていう。そこが僕が言っている「楽しみ」っていう部分なんです。

だから、これからも僕なりのやり方で、楽しみながら頑張ってみたいなって思ってます。

ESPのスタッフともいつもそんな話をしてるんですよ。
役者として世に出ているからこそ、難しさもあるし、逆に役者で出てるからこそ、普通の新人ではありえないような企画が通っちゃうこともあるし。



でね、またこれもぶっちゃけ話なんですが、こないだの「I LOVE YOU」のインストアイベントのときには、もうすでに「アルバム」計画があって笑。これも前回と同じ流れですよね。

きっかけはいたって簡単ですよ。自分の中でもヒントがありましてね。
僕はなんだかんだ言って約16年音楽活動を封印していたわけです。さっきも言ったように、趣味として遊び感覚で名前を変えて音楽活動はしていたんです。冴木涼介っていう名前でやっちゃったりとか。

やっぱり、僕ってプロデューサー指向なんですよね。時代劇の主役「修羅之介」をやるんだーってなったら、やっぱりこんな音楽の方がいいなーなんて感じで作ってしまうんです。それは必殺の音楽を作っていたころの自分とも良く似てますよね。



そのときは遊び感覚っていうことで、音楽にあまり執着がなくて、僕が歌うというつもりもあんまりなかったんですよ。ただ、この作品には合うんじゃないかなっていうので自分で歌って出したのが「まるで悲しみが雨のように口づける」なんです。(ESP注:「修羅之介斬魔剣妖魔伝説」主題歌として1997年発売)



それは今から10年近くまえですね。僕が37のときだから。
そのときにね、自分が主役の作品の主題歌を京本政樹という名前で歌っちゃうというのは、どうも照れくさいというか、あんまり乗り気がしなかったんですよ(苦笑)

それでなんとなく、隠しちゃったかのように名前を伏せて。

でも、やっぱり音楽大好き人間だから、そのときはそのときで音楽を一生懸命やってたんですよ。
でも、そういう理由で世の中にそれほどアピールすることはなく、とりあえずCDだけ出しておいた、みたいな感じなんです。でも、去年ディナーショウをやりますよって言ったところ、ファンの方からお手紙で「まるで悲しみが雨のように口づける」とか「かげろうの街II」を是非やってください!なんてリクエストもたくさんいただきまして。この時期の曲をとても気に入ってくださってる方もいらっしゃるみたいなんです。 


でもね、この2曲って、ビクターやポリドール時代よりも実は全然タッチしてなくて、本当にやりっぱなしといいますか笑、さっき言ったような理由から、おおげさにいえば僕の中では夢か幻かみたいな感覚だったんですよ。でも、今あらためて聞き直してみると、あれはノアと一緒に楽曲を作ってたんですが、なかなかいい楽曲なんじゃないかなあと。

でも、ビクターやポリドール時代よりもっと世の中に知られてないんだよなあっていう。

映画の試写会の時も、僕の友人の俳優さんや女優さんに「あれって京本さん歌ってるんじゃないですか?」って言われてもちょっぴり知らん顔していた僕がいたというね笑。

それくらい、当時の僕は歌というものから逃げたかったのかもしれない笑。

好きだからやってたけど、あんまり歌手を目指してはいなかったというか。
映画の主題歌っていうことで、PVまで撮影したにもかかわらず、あまり表に出る活動もすることなく終わってしまったというか。あんまり自分のなかで、今みたいに本腰なかんじじゃなかったんです。

当時は俳優として名前をたてるっていう意識の方が目標意識として高かったんでしょうね。

で、そんなことを思い出しているときに、アルバムを作るなら、これらの曲をもういちど掘り起こしてみたいな、という想いがどんどん強くなっていったんです。





これまでのインタビューの中でも何度かお話していただいた俳優とミュージシャンという二足のわらじという苦悩。
かつて「二兎追うもの一兎を獲ず」との苦渋の決断から、結果として俳優という道を選んだ京本氏。
インタビュー前に当時の音源を聞かせていただいたが、はっきしいって「趣味のひとつ」なんて言葉ではかたづけられないほど、完成度の高い楽曲、歌唱における高いアーティスト性、そして徹底したプロデュースに随所にこだわりのミュージシャンシップを感じとることが出来る素晴らしい作品であった。

音源そのものは一切の妥協なく製作されたのにも関わらず、もったいないことに当時はあまり表だったPR活動をすることもなく、あくまでも俳優業を、そして作品そのものを優先させてきた、ということなのである。

次回では、そのアルバムの構想をさらにつっこんでお話いただくことにする。
なんと新曲についてのエピソードも!?次回更新を、しばし待たれよ!