ESP:はじめまして!インタビューにご登場いただきありがとうございます!
瀬戸:こちらこそよろしくお願いします!
ESP:それではまず最初に、瀬戸さんが歌手になりたい!と思ったきっかけからお話いただけますでしょうか。
瀬戸:はい。僕は大阪生まれの広島育ちで、歌を意識し始めたのは高校二年のときの文化祭です。
文化祭で同級生がバンドでロックを演奏していたんです。
それをずっと見ていて、もう単純に「カッコイイなあ!」って感動したんですよ。
それで「よし!オレもバンドを組もう!」って決意をしまして、、、といってもバンドってすぐは集まりませんから、まずフォークギターを弾ける友達と二人でコード譜が載っている音楽雑誌を買い込んで、僕が歌って彼がギターを弾くっていうのを、放課後にずっとやっていたんです。
そこから始まって、少しずつベースやドラムなどのメンバーが集まってやっとバンドを結成できて、活動を始めたわけなんですね。
そこで突然のお話がありまして。
原田真二さんという広島出身のアーティストがいるんですけど、原田さんのバックバンドのキーボーディストの人がたまたま僕たちのバンドを見てくれたんです。
そこで、「君たち演奏はめちゃめちゃヘタだけど、、、ボーカルは頑張ったら良い素材になるよ。頑張ってみるか?」って言ってくださったんです。
ようするに、ボーカルだけバンドから引き抜かれるっていう話が来てしまったんです。
僕としてはもちろんバンドでデビューしたい!って思って活動してきたわけなんですが、、、
そのとき、他のメンバーが、、、
今でも忘れることが出来ないんですけど・・・広島弁で、
「ワシらはええけえ!瀬藤、頑張ってこいや!」って言ってくれたんです。
「自分らはこの範囲でいいけど、瀬藤には可能性があるんだから!」って、僕を送り出してくれたんですね。
それで、結果として僕だけがその原田真二さんのキーボーディストの方のところへ言って、デモテープを作り始めることになったんです。
そして、その方の紹介でデモテープを持って東京へ出ることになったんです。
ESP:上京物語ですね。。。東京ではどんな展開が待っていたんですか???
瀬戸:でも・・・もちろんそんなにトントン拍子に上手く行くはずもなく・・・苦笑。
もちろん生活して行かなくてはなりませんから、お弁当屋さんでアルバイトを始めたんです。
どうしてお弁当屋さんかっていうと、まわりにレコード会社とか音楽事務所とかいっぱいあるお弁当屋さんだったんで、少しでもチャンスがあるんじゃないかと思って・・・。
お弁当と一緒に、、、自分のデモテープを持って行きました(笑)
そのデモテープでは残念ながら、、、なかなか上手くいかなかったんですが、実はそのお弁当屋さんのビルの三階が古着屋だったんです。
僕はそこにもお弁当を配達してたんですよ。
それで、お給料が入ったときに少ないお小遣いを持ってそこにたまたま古着を買いに行ったんですね。
そうしたら、そこにザ・ヴィーナスのコニーさんがたまたまいらっしゃってたんですよ。
「キッスは目にして」を歌ってらっしゃった方です。
それで、「あっ!コニーさんだ!!」と思って。びっくりしたんです。
そうしたら店長である奥様が
「ああ!下のお弁当屋のオニーチャンじゃないの!」って言われて(笑)
それで、「あの、今日初めて給料が入ったんで、服を買いに来ました」って言ったんです。
「あ、そう!ゆっくり見てって。安くしてあげる!」って言ってくださって。
それで店内をいろいろ見ていたんですが、壁に小さいポスターが貼ってあったんです。そのポスターに、当時、新宿ルイードというライブハウスがあったんですが、日付が今日になっていて、、、「徳永英明ファーストコンサート」って書いてあったんです。
僕は「誰かなあ???」って思いながら、ずーっとそのポスターを見ていたんですけど、
そうしたら奥様が「あら?何を見てるの???」って聞いてくださって。
それで「このポスターは・・・」って聞いてみたところ、
「あ、これね、うちの旦那がやってるアーティストで徳永英明っていうの。今日ルイードでライブがあるんだけど?・・・・・よかったらオニーチャンも行く?」って言ってくださったんです。
話を聞くと、なんとその奥様は、、、 当時徳永さんが所属していた事務所の社長婦人だったんです。
奥様がご趣味で古着屋さんをやってらっしゃったんです。
ESP :すごすぎるお話です!!
瀬戸:奥様が「オニーチャン、なんかやってんの???」って聞かれたので、
「広島から出てきて、歌を目指してるんです。」とお話ししまして。
「なんでお弁当屋さんで働いてるの?」
「レコード会社や音楽事務所の近くのお弁当屋だったら、出前のときにデモテープを持って行けるんじゃないかと思って・・・」
「あら、そうだったの。うちでよかったら、社長に聞かせてあげるわよ」って言ってくださったんです。
それで、奥様にデモテープをお渡ししまして。
2,3日してまたお店に行ってみたら、
「社長が、あなたのこと面白いって言ってるわよ。」っていうお話になりまして、、、
奥様の紹介でついに社長とお会いできたんです。
ESP:想像を絶する展開です!!
瀬戸:社長は勝又さんという方なんですが、勝又さんについていろいろ勉強させていただきながら、徳永英明さんもグランプリを取ってデビューを決めた「オートラマ・マリンブルー音楽祭」に出させていただきまして、そこでグランプリをいただいたんです。
でも、グランプリをいただいてもまだすぐにデビューということにはなりませんで・・・苦笑。
また修業時代が続くんです。
勝又さんがいきつけのスナックで、お店が始まるまでとにかくありとあらゆるいろんな曲をひたすら歌わせてもらって練習しました。
そして、やっとデビューさせてもらったのが、テレビ朝日の新春時代劇スペシャル「徳川家康」の主題歌として「夢の雫」という曲だったんです。
その後、荒木とよひさ先生と出会って弟子にしていただき、演歌・歌謡曲の道を歩むことになり、堀内孝雄さんの「月夜のうさぎ」という曲をカバーさせていただいたり、、、
ちょうどそういうタイミングで今回の京本さんのお話をいただいたんです。
ESP:そうだったんですか。それにしてもすごい出会いですよね。。。
京本さんと出会ったきっかけを教えていただけますでしょうか。
瀬戸:はい。現在の事務所の社長がたまたま京本さんと知り合いだったというのが今回のお話のはじまりなんです。
社長が私の前作「月夜のうさぎ」という曲を、何かのおりに京本さんにお聞かせしたらしく、それを聞いて京本さんが僕に興味を持ってくださったようで、社長を通じて正式にご紹介していただくことになったんです。
初めてお会いした場所は、、、忘れもしない大阪の天神祭でした。
あのとき、京本さんはお着物を召されていて、
「うわああああああああっ!」という感じで、まぶしくて、、、
もちろん僕もずっとテレビで京本さんを見て育った世代ですから、、、すごく緊張しました。
初めはすごく緊張したんですが、その後、京本さんがお忙しいスケジュールを縫って僕に電話をかけてくださるようになったんです。
時には夜中まで音楽について熱く語ってくださる京本さんの情熱がすごく伝わってきました。
それが何よりも、一番嬉しくて・・・
最初は、まさか京本さんの楽曲を歌わせていただけるなんて夢にも思っていなかったんですが、
うちの社長と一緒にお話がどんどん大きくなっていき、
本当に京本さんにプロデュースしていただけることになったんです。
最初は信じられない思いでしたが、京本さんが打ち合わせから何から全部付き合ってくださって、、、 京本さん本当にプロデューサーなんですよ。
京本さんがシンガーソングライターでらっしゃるのはもちろん存じ上げていたんですが、
正直申しまして、こんなにアーティスティックでいろいろなアイディアがある方だとは知らなかったのですごくびっくりしました。
僕のイメージとしては、もっとなんていうか・・・近寄りがたい人といいますか・・・。
こんなに気さくに、僕なんかにも電話をかけてくださっていろんなお話をしてくださったり、一緒にいろんなアイディアを考えてくださったり。。。
本当にびっくりの連続です。
でも、こんなに親身になっていただいて、プロデュースもしていただいて、、、
もう、、、頑張るしかないぞ!!!っていう気持ちです。
実は今回、京本さんが名付け親になってくださって、「瀬戸つよし」という名前をつけていただいたんです。
これまでは、瀬藤正則という本名でやっていたんですけど、「瀬戸内海の大海原に強く生きていく男」という意味をこめて、名付けてくださったんです。
僕としても今回は、本当に1からのスタートという気持ちで頑張りたいので、
「ありがとうございます!いただきます!」ということで、心を新たに決意いたしました。
今回、京本さんにものすごく大きなチャンスを与えていただいたと思っております。
また、プロデューサーとして僕の新しい「歌の世界」を引き出してくださり、本当に感謝しております!!
僕はもう、精一杯努力して一生懸命歌うことで、
少しでも恩返しが出来ればと・・・
・・・気合いを入れて、頑張ります!!
皆様、どうぞよろしくお願い致します。
という瀬戸つよしさんでした。
ちなみに、瀬戸さんは京本Pのことを「マサ兄ィ(まさにい)」とお呼びしております。
そんな「マサ兄ィ」は「やっぱり人と人とのつながりっていうものは大事にしなくてはいけない。やっぱりこうやって慕ってもらえると、こっちもやってあげたいっていう気持ちになるよね♪」というめっちゃ熱い師弟関係が結ばれております。
という感じで基本は体育会ですが、もちろん瀬戸さんをリラックスさせるための面白トークもいろいろ大炸裂しております。
「今は便利になったよね〜!昔、必殺時代に作詞作曲していたころは大変だったんだよ〜!鮎川いずみさんのレコーディングのときも、今みたいなデジタルレコーディング技術がない時代だったから、それこそテープをこうやってちょんぎって切り貼りしてねえ」という貴重な昔話にも花が咲いたりと、厳しい中にもいろいろ楽しい現場なのであります。
瀬戸さんも最初は少し力が入っていたようですが、京本Pから放たれる楽しい雰囲気に包まれ、そしてまた同時に激しい「喝!」に励まされ、最終的に、素晴らしい歌がレコーディングされました!!!
鮎川さんバージョンとは、良い意味で全く別の作品です。
とにかく楽曲の世界観に浸れます!!!
とにかく完成度高いです!!!
そして、京本Pが携わる作品全てに言えることですが、「ハート」入ってます!!!
これはもう京本ファン、瀬戸さんファンの皆様はもとより、
必殺ファンの皆様にも是非聞いていただきたいです!!
このインタビューをしている段階でじゅうぶん完成度高かったので、
いやあさすが京本さん、今回もすごいのが完成したなあ・・・と思っていたのですが・・・
すいません自分、甘かったです。。。
京本Pはやっぱりスゴかったのです!!!!!
この後、、、、京本Pの一言から事態は急展開を迎えます!!
次回、震えて待て!!!
(つづく)
|